「たとへば、こんな怪談話 3 =猫股= 第二話」  梅雨のうっとしい長雨が降る日々が続いていた。  そんなある日から横浜は保土ヶ谷にある星野邸(旧秋山本家)の庭先 に潜み、この家の主である星野庄兵を見つめる目があることを庄兵自身 は気づくはずもなかった。  そして、梅雨明を知らす雷鳴が轟くある日の真夜中、庭先に潜んで居 たものは、足音を忍ばせて庄兵が寝ている部屋の窓辺に近寄ってきた。  それが窓から1メートル程の距離に近づいて来たとき、窓辺に光る物 が現れた。  それは光を見て、ハッとして歩みを止めた。  一方光の方は窓から出て、次第に形になっていき、ついには人の姿に なった。  「だれかえ、お前は」  人の姿をした者は、それを見据えて言った。  それは数歩後ずさりをしたが、歩みを止め、暫く人の姿をした者をし げしげと眺めていたが、  「おや…あんたひょっとして、静さんかい?」  と言った。  窓辺から出てきたのは、この家の主庄兵の守護霊である静であった。  静は最初それ自体が人語を話すこと自体驚き、それを訝しげに見てい たが、やがてそれが何者なのかを思い出したらしく、  「お八重…お八重なのね!」 と、顔をほころばせ懐かしそうに言った。  「ああ…やっぱり静さんかい!久しぶりだねぇ…」 と言って静の足下に近づいてきた。  静はその場にしゃがみ込むとずぶ濡れになったそれの頭を撫でた。  静に頭を撫でられているそれは、目を細めながら  「しかし、あんたも寿命には勝てなかったか…」  「まあ、私はあんたと違って人間でしたからね、120年も生きてら れないわ」  静は澄ました顔で言った。  そんな静に対して  「若作りしちゃって…」 と、それは静の膝をつっついた。  「お互い様!」 と、静とそれはお互いに笑った。  「で、あんたがここにいるという事は…この家の人間は…秋山家縁の 者かい?」  「そうよ、この家の主は私の愛しい孫の庄兵さん」  「庄兵…ああ、あんたが一番可愛がっていたあの…恐がりの」  「そうそう…」 静も目を細めて、相づちをうった。  「まあここで話すのも何だから、中にお入りなさいな」  静はにこにこして言った。  「中にって…入っていいのかい?」  「そりゃ、ここはあんたの家よ。良いに決まってるじゃない!」  「でも、どうやって…?そりゃ、壁抜けをしてもいいけど、突然あた しが家の中に姿を表したら庄兵がパニックを起こすだろうよ!…それに …」  「それに…?」  「庄兵が、あたしのことを受け入れてくれるかどうか…?」  「大丈夫よ、私が説得するから!それに、壁抜けが嫌なら、庄兵さん に玄関を開けさせればいいし…」  「おいおい静さん、今は丑三つ時だよ。庄兵が可哀相だから、あたしゃ 昼間あらためて来ることにするよ」  「いいから、いいから…されにこんなに雨が降ってちゃ、あんたでも 寒いでしょう…?」 と、言って静は家の中に入っていった。  暫くして、静は熟睡している庄兵を無理矢理起こして、玄関を開けさ せた。  寝ぼけ眼で玄関を開けて周りを見渡した庄兵は自分の視界に何も見え ないので、  「大切な人が来たって言うけど、静さん、誰もいないよ?」 と、静の方を振り返った、しかし、その隙にそれは庄兵の足下の横をす り抜けて玄関に入ってきた。  「静さん、その大切な人っていったい誰?俺に見ないのだから、霊な の?」 と、庄兵は重ねて静かに聞いた。  静はゆっくり首を横に振ると、  「いいえ、大切な人は玄関に入ってきているわ…ほら、庄兵さんの足 下…」 と言って、庄兵の足下を指さした。  庄兵が静の言葉に従い自分の足下を見ると…  「ね、猫ぉ?」  そう、庄兵の足下には、一匹の大きな三毛猫が座っていた…  「そうよ、お前が小さい頃よく遊んだ、お八重よ」 と静がうれしそうな声で言った。  庄兵は、その猫の名を聞くと、子供の頃のことを思い出すと同時に、 その猫について一番よく覚えていることを口に出した…  「お八重!?…あのばあちゃんの飼っていた化け猫…いで!」  庄兵がそう言うと同時に、頭に静のゲンコツが、足にはお八重の爪が 同時に襲った。  「静さんとお呼びと言ったでしょ!」  「化け猫とはなによ!」 と二人…いや、一人と一匹は同時に言った。  しかし、庄兵は動転して、お八重が言ったことが聞こえなかった。  「わるかった…ばぁ…いや、静さん。しかし、お八重は化け猫でしょ」  「だから、化け猫とはなによ!」 との言葉に、庄兵はこの声の主の方を見た。そこには猫が一匹居るだけ だった…猫が話すはずがないと思っている庄兵が不思議そうな顔でお八 重を見ていると、  「だからぁ、化け猫とはなによ!」 と、お八重は堂々と庄兵に向かって言った。  お八重の言葉を聞いた庄兵は、目が点になって、暫く黙っていたが、  「わっ!猫がしゃべった!!」 と、いきなり驚いて庄兵は飛び退き、家の奥に走り去ろうとした。しか し、静かお八重の仕業か知らないが、庄兵の足は一歩も前に進まず、庄 兵は玄関に倒れた。  玄関の段の角に向こう臑を打ってもんどりをうっている庄兵に  「この子ったら、まったく…」 と、静は呆れ顔で言った。  「で…でも、静さんが飼っているお八重という猫は、化け猫だって爺 ちゃんや親父が言ってたから…」 と言って庄兵は玄関に座ると、気を落ち着かせようと努力していた。  「それとも、お八重も霊?」 と言いながら、庄兵は近づいてきたお八重をまじまじと見た。  「いいえ、お八重は霊じゃないわ」 と、静は首を横に振って答えた。  「でも…言葉を話すし、猫の寿命はせいぜい15年…お八重は静さん が若い頃から飼ってたんでしょ?」  「庄兵さん、お八重の尻尾を触ってご覧?」  庄兵はお八重の尻尾をそっと触った…お八重の尻尾は螺旋状になって いた。  変に思って庄兵が再度触ると、今度はお八重が協力して、尻尾の螺旋 を解いた…すると、お八重の尻尾は見事に尻まで2本に分かれた。  「…え゛、に…2本ある」  「そう、お八重は霊じゃなくて猫股…正確には私が生まれる前から、 前の家に住み着いていたの」 と、静は平然と言った。  「やっぱり、化け猫だぁ!」 と言って、庄兵は蒼くなってその場で気絶した。  「やれやれ、この子は…赤ん坊だった頃にはあたしの尻尾をつかんで 引っ張り回した癖に…」  気絶した庄兵の顔を覗き込む内に、お八重の脳裏には赤ん坊の庄兵が 自分の尻尾に無邪気にじゃれついている光景を思い出し、思わず目を細 めていた…  翌日、玄関で気絶したまま夜を明かした庄兵は、体中が痛いのを我慢 して居間に向かった。  庄兵が居間を覗くと、居間の座布団の上にはお八重が寝そべっていた。  居間の時計を見ると…時刻はすっかり午前9時を回っていた…  仕方なく、庄兵は会社に午前半休の連絡を入れた。そして、朝食の支 度を始めた。  朝食の支度をしながら、昨晩のことは半分夢だったに違いないと、半 分無理矢理に思いこもうとする庄兵の努力も虚しく、起き出して庄兵の 足に擦り寄ってくるお八重の「おはよう」の言葉に全身に虚脱感が襲っ た…朝食を済ませ、お八重をそのままにして家の掃除や洗濯を済ませて 会社に行ったが、仕事に身が入らず、定時ですぐ家に帰ってきてしまっ た…  その夜、庄兵は静も交えてお八重の話を聞いた。  色々話を聞いている内、  「なあ、庄兵さん、あんたさえよければ、あたしをこの家に置いてく れないか?」  「ここに…?」  「あたしはもともとこの家の住人だし、正体を知っている静さんやあ んたなら、安心してここにいることが出来る。それに…あたしの知恵は あんたに十分役に立つはずだ!」  お八重の言葉に庄兵が怪訝そうな顔をすると、  「なぁに、餌はさほどかかんない、食べる物もあんたの残りでいい… あたしはこの歳になると霞を食べることを覚えたから…」  「ねぇ…庄兵さん、置いてあげようよ…」  静の言葉に庄兵は渋々承知した…  「じゃ、決まりね!」 と、にこにこして静は手をたたいて喜んだ。  …こうして、庄兵の家には、奇妙な居候が同居することになった…  この日から暫くして、お寺の無縁塚を壊して集会場を作るからと言う 名目でお寺から寄付を要請する手紙が来た。  この手紙を見て、無縁塚の由来を知る庄兵は驚いて何とかやめさせら れない物かと考えた。  そんな折り、何も知らない他の檀家の人々は皆、集会場というのは名 目で実は近所の会社の社員寮に貸してお金を取るつもりだという噂をま ことしやかに囁いていた…また同じ頃に、無縁塚近辺の家や道で化け物 を見たという噂が持ち上がっていた…  お寺の放蓮は、両方の噂をむきになって否定したが、化け物騒動の噂 は日増しに話しに尾鰭が付いて一人歩きを始め、とうとうテレビのワイ ドショーが取材が殺到する羽目となった…  庄兵は  「悪い噂が立てば、そう簡単に無縁塚を壊せないだろう…」 と、内心喜んでいたが、化け物騒動の事がどうも引っかかる…  静に聞いてみても、何か知っている風であるが、知らぬ存ぜぬを繰り 返し、庄兵の問いには答えなかった。  そのため、化け物騒動の間、お八重が夜な夜な出歩いているのを思い だし、お八重捕まえて事を問いただした。  最初のうちは、しらばっくれていたが、しつこく繰り返し同じ質問を すると、  「わかったわよ!白状するわよ!!あの化け物騒動はあたしの仕業よ」 と、白状した。  化け物騒動の詳細を聞いているうち、庄兵はふと思ったことをお八重 に聞いた。  「なあ…なんで、放蓮の所に化けてでなかったの?」  すると、お八重はバツが悪いような嫌な顔をして、  「そりゃ、最初はあいつの所に化けてでたやね…けれど、あいつは寝 起きが悪くて、化けたあたしを見ても、それが夢であると思いこんでい るのさ、いつぞやは若い女に化けて出たら、手込めにしようとしやがっ た…ったく!あの生臭坊主め!!」  などと言っていたが、もう一方の噂のである無縁塚を取り壊して社員 寮にするという話は本当であることも知った。  庄兵は、何とかして無縁塚を取り壊すことを止めさせる方法は無いか と無い知恵を絞っていたが、いい方法が思いつかなかった。  それから、数日が過ぎた旧盆も近いある晩のこと、この数日出歩いて いたお八重が帰ってくるなり、庄兵にある提案をした。  「なあ庄兵さん、あんたもっと暮らしが楽になりたくはないかい?」  庄兵はお八重のいきなりの問いにどきまぎしながらも、  「そりゃ、楽にはないたいけど…今のままでも十分だとも思っている」 と、平静を装って答えた。  「へぇーーー、あんた、足(たる)を知っているねぇ…」 と、素っ頓狂な声でお八重は言ったが、  「じゃ、正直に言おうか、あんた、あの無縁塚がどう言った物かあん たなら知っているはずだ!」  「ああ…」  「なら、あんたは、あの無縁塚が壊されるのを阻止しなければならな い義務があるはずだ!」 と、たたみかけておいて、  「…どうかね?」 と、片目を瞑って聞いたお八重の質問に、庄兵は何も答えられなかった。  「そりゃ、そうだけど…どうやって…?」  「方法は簡単だ!」  「なに?」  お八重の言葉に静まで乗り出してきた。  「おっと、簡単には教えられない…それを教えるには一つ条件がある」  「なに?その条件ってのは…?」  お八重の言葉に静が焦って答えた。  「なぁに、簡単なことさ、この件が成功したら、あたしの子供達を引 き取って欲しいのさ!」  お八重は平然と耳の後ろを後足で掻きながら言った。  「…いいわ!引き取りましょ!!」  「…そんな!静さん…」  「庄兵さんは黙っていなさい!!」  「ハイ・・・」  心が競っている静は、言葉で庄兵を押さえ込むと、庄兵を差し置いて お八重と勝手に事を進めてしまった。    「…で、その方法って…?」  「秋山家の家督を手に入れることだよ、家督を手に入れて檀家総代に なり、無縁塚の取り壊しを止めさせる…うまく行けば、あの生臭放蓮も 追い出すことが出る」  「…家督を手に入れるって、どうやって…?」  「なぁーーに、簡単なことさね、慎太郎の父親光治めが重治さんから 家督を奪った方法をそのまま逆にしてやるのさ」  「逆に…?」  庄兵と、静は互い顔を見合わせた。  「そう、慎太郎の家には男の子が居ない、三人の娘が居るだけだ」  お八重はそう言いながら、自分の眉を前足で撫で付けていた。  「そこで、慎太郎に息子が居ないことを理由に、一族の会議を開いて、 その場で庄兵さんが秋山家本家の家督を継ぐことを承認してもらえばい い…しかし、星野の姓のままではまずいので、慎太郎の婿養子か養子に なることになるだろうけど…」 とお八重は言うと、一度目を伏せ、再び庄兵の顔を睨み付けるように見 ると、  「でも、ここで一つ問題がある」  「…問題?」  お八重に睨みつかれた庄兵は身を引きながら答えた。  「そう…慎太郎の三人の娘の事だ」  「長女は慎太郎の娘かと疑うほどの真っ直ぐないい子に育ったが、数 年前、慎太郎が欲を出して、勝手に話を進めていた大会社のボンボンと の結婚を嫌がって、駆け落ちをして行方不明…次女は長女と正反対のア ーパー娘で、大企業の偉いさんと不倫の仲…最近身ごもったみたいで、 捨てられるのも時間の問題…三女は、これまた慎太郎が甘やかせ放題に 育てたので、相当のわがまま娘。最近慎太郎の財産を目当てに接近して きた男と付き合っていたが、慎太郎の逮捕で、男が三女を遠ざけている が、三女は全然気づいていない…」  「この中で、庄兵さんが婿入りする対象は、長女か次女…三女は庄兵 さんと結婚するには幼すぎる…しかし、両方ともこんな状態なので、庄 兵さんは婿養子と言うより、慎太郎の養子と言うことになるだろう…な ぁに、慎太郎の養子と言っても、紙の上の話しで、実際の面倒は長女に 任せればいい…」  「…えっ?さっき、長女は駆け落ちして行方不明と言ったじゃないか !」  「…そう、確かに言った。しかし、あたしにには居場所はとっくに判 っている」  それで、ここ数日お八重が居なくなっていた訳が分かった…お八重は 一人頷くと、言葉を続けた。  「そう…長女も、その旦那も欲のない人物だから、常々慎太郎夫婦を 引き取って共に暮らしたいと思っている。慎太郎も、今回のことで疲れ ているし、反省もしている。今、家督の話と長女の話をすれば、イチコ ロで庄兵さんに家督を譲るはずだ」 と、お八重は得意満面に庄兵に秋山家の家督を譲り受けるための策を話 し出した… =続く= 藤次郎正秀